【仏教ブログ】人生の卒業式

光顔寺明照廟堂(光顔寺 納骨堂)のスタッフ、仏教アドバイザーの宮田秀成です。

3月は卒業のシーズンです。全国の幼稚園保育園、小中学校、高校大学で卒業式が行われます。

卒業式はお別れの行事なので、送る側も送られる側も色々と感慨深いものです。

自分が成長し、子供の親ともなりますと、子供の卒業式に出席し、送る側として過ごすようになります。その子供も社会に出ると卒業と縁遠くなるかもしれません。

しかし私の人生で考えると、人生の卒業に当たるのが、私の臨終であります。小学校なら6年間と決まった期間で卒業となります。それに対して人生はそのように決まった年数はありませんが、それでも寿命を迎えると人生の終わりになりす。これが臨終と言うものです。お葬式は人生の卒業式と言ってもいいかもしれません。

その意味では、歳を重ねるといろいろな人の人生の卒業式に立ち会うことになります。しかし、いつまでも見送られるばかりではありません。やがて自分が見送られる時が来ます。それが私の命が終わる時、私が臨終を迎える時です。

自分の卒業式では、その後の進路がはっきりしているときは明るい気持ちで迎えられますが、はっきりしていない時は不安になるものです。高校の卒業式では、大学合格発表待ちの人もあり、未来に対して不安な気持ちで卒業式を迎えることになります。

それでは、私の人生の臨終にはどんなことを思うでしょうか。

歎異抄第9条にはこのような親鸞聖人のお言葉があります。

なごりをしくおもへども、娑婆の縁尽きて、ちからなくしてをはるときに、かの土へはまゐるべきなり。(歎異抄9条)

なごりおしく思うことがあったとしても、この世との縁が尽きて命が終わるときには、阿弥陀仏の浄土に参らせてもらうのだと言われています。

人生の卒業となったとき、いろいろと名残惜しく思う事はあっても、行くべきところは阿弥陀仏の浄土であるという身になって頂きたいと思います。

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宮田秀成/光顔寺・仏教アドバイザー(真宗教義、脱カルト担当)

Profile
1993年に宗教法人浄土真宗親鸞会に入信、10年間親鸞会講師として活動。
脱会後、親鸞会の教えの誤りに気づき、本願寺派の教えを中心に学びなおす。
現在、浄土真宗本願寺派光顔寺(富山)信徒。
   光顔寺スタッフ。仏教アドバイザー。

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