【仏教ブログ】誰にも会えないと苦しみと、いつでも会える世界について 2021年05月01日 00:05

光顔寺明照廟堂(光顔寺 納骨堂)のスタッフ、仏教アドバイザーの宮田秀成です。

新型コロナウイルス感染者の急増により再び緊急事態宣言が東京、京都、大阪、兵庫の4都府県に出されました。四都府県だけに限らず、独自の規制を出している都府県もあり、また感染者の多い都府県への移動も自粛するようにと呼びかけられている状態です。

いわゆるゴールデンウィークも、昨年に続き帰省をしたり旅行をすることはできないと言う方も多いかと思います。また、子供さんやお孫さんの帰りを待っていた方からすると、またしても肩透かしを受けたような状態です。

「コロナ疲れ」という言葉も、使われるようになって久しいですが、それはどんな「疲れ」なのかを考えてみますと、最も大きなものは「人に会うことができない」ということに尽きるかと思います。

人に会うことができない「孤独」と言う状態は、大変苦しいものです。随分前から「孤独死」という言葉を目にする機会も増え、孤独な状態のまま人生を終えることは誰も望んでいることではありません。

しかし、今回の緊急事態宣言が出なくても、人は一人で生まれ、一人で死んでいく存在であるとお釈迦さまは教えられています。

人、世間愛欲のなかにありて、独り生れ独り死し、独り去り独り来る。行に当りて苦楽の地に至り趣く。身みづからこれを当くるに、代るものあることなし。(仏説無量寿経)

私たちは、日ごろ生活をしている中で、いろんな欲望に振り回されて生きています。それでも、生まれてきたのは独りですし、死んでいくときも独りです。それぞれの行いによって、それに応じた世界にまた行き着くのですが、その代わりをしてくれる人は誰もいません。

死んだ後が苦しい世界になるのは、一人一人が孤独の状態にあるからです。自分以外に、その苦しみを替わってくれる人がいないし、誰にもあうことがないのが地獄という世界です。

そういう意味で、誰とも会えない状態が続いている人は、生きている現在も地獄におられるということになります。

しかし、阿弥陀仏の浄土は、「倶会一処」といわれるように一つのところに浄土に往生した人はまた会うことができます。お互いを、浄土で懐かしく再会できるようになると有り難いことです。

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宮田秀成/光顔寺・仏教アドバイザー(真宗教義、脱カルト担当)

Profile
1993年に宗教法人浄土真宗親鸞会に入信、10年間親鸞会講師として活動。
脱会後、親鸞会の教えの誤りに気づき、本願寺派の教えを中心に学びなおす。
現在、浄土真宗本願寺派光顔寺(富山)信徒。
   光顔寺スタッフ。仏教アドバイザー。