【仏教ブログ】桜は散ると見るか咲くと見るか 2021年04月01日 00:04

光顔寺明照廟堂(光顔寺 納骨堂)のスタッフ、仏教アドバイザーの宮田秀成です。

今年も桜の季節がやってきました。しかし、コロナ禍の影響で、みんなで集まって花見ということはできません。花見の名所では、人が花見で宴会を開かないように柵を作ったところもあると聞きます。花見でみんなで集まることはできなくても、日本人にとって桜は特別な花で、今日は「桜ソング」というジャンルがあるほど桜をテーマにした楽曲は多く作られています。

卒業シーズンと桜の開花時期が重なることもあり、いろんな人との別離や環境の変化がそのテーマになっています。

古くは小倉百人一首の中には、六首も桜の歌が選ばれています。その中から一首を紹介します。

花さそふ 嵐の庭の雪ならで 

 ふりゆくものは わが身なりけり(入道前 太政大臣)

(花を誘って散らす嵐の吹く庭は雪のように花が降っている。しかし、本当にふりゆくものは、雪に見える花ではなくこの我が身だった。)

春の嵐という言葉もあるように、桜の時期になるとしばしば強い雨風が吹き荒れる日があります。それまで満開だった桜の花もあっというまに散ってしまいます。その有り様から、この歌に限ら桜の歌は、散りゆく桜と変わりゆく自分の姿を重ねたものが多く有ります。

昨年来のコロナ禍もあって桜を見て心躍る人もいる一方で、散りゆく姿に自分も含めていろんな人の顔が浮かぶ人もあると思います。

浄土真宗の親鸞聖人は、9歳で出家されるました。出家得度の式の日、事情で開始が遅くなり、夜も遅くなったし疲れただろうから明日にしてはどうかと促されたところ以下の歌を詠まれたと言われています。

明日ありと思う心のあだ桜

 夜半に嵐の吹かぬものかは

明日という日は桜が一晩で散ってしまうように当てにならないから、今日得度をしてしてもらいたいとの願い出に、その日の内に得度をされたと言われています。

桜の花を見て、自分も散ってしまうのだなと寂しく思うのか、それともだからこそ本当にやらねばならないことに力を尽くそうと思うのかは、何を判断基準にするかによって変わります。

やがて必ず花は散りますが、花咲く世界があると教えられているのが仏教です。

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宮田秀成/光顔寺・仏教アドバイザー(真宗教義、脱カルト担当)

Profile
1993年に宗教法人浄土真宗親鸞会に入信、10年間親鸞会講師として活動。
脱会後、親鸞会の教えの誤りに気づき、本願寺派の教えを中心に学びなおす。
現在、浄土真宗本願寺派光顔寺(富山)信徒。
   光顔寺スタッフ。仏教アドバイザー。