【仏教ブログ】尺取り虫と蚕と私 2021年06月15日 00:06

光顔寺明照廟堂(光顔寺 納骨堂)のスタッフ、仏教アドバイザーの宮田秀成です。

6月は梅雨の季節で、湿気も気温も高くなり虫も増えてきます。

今日は、虫を通して人間の姿を教えられた話について書きます。

その虫とは、尺取り虫と蚕です。どちらも以前はよく目にしたと言う人も多くありますが、近年は中々目にする機会が減ってきました。

それが以下の文章です。これは、中国の曇鸞大師が書かれたものです。

仏本(ぶつもと)この荘厳清浄功徳を起したまへる所以は、三界を見そなはすに、これ虚偽の相、これ輪転の相、これ無窮の相にして、蚇蠖[屈まり伸ぶる虫なり]の循環するがごとく、蚕繭[蚕衣なり]の自縛するがごとし。(浄土論註)

阿弥陀仏が、法蔵菩薩という菩薩であったときに、私たちの姿をご覧になってなんとか救ってやりたいという慈悲の心から本願を建てられました。その時に、私の姿をご覧になったときに、ウソ偽りの姿、同じことを繰り返している姿、そしてそれに終わりがない姿を知られました。それは例えると、尺取り虫(蚇蠖)が同じところをぐるぐる回っているようなものであり、蚕がその繭(蚕繭)によって自分を縛っているようなものだと言われています。

このように私の姿を、尺取り虫と蚕に例えておられます。

尺取り虫が、同じところをいつまでも回り続ける姿を通して、自分の力ではいつまでも迷いを離れる事ができない私の姿を現されています。

また、蚕が自分の口から吐いた糸によって繭を作りますが、その繭によって自分を縛り人間の手にかかれば茹でられても逃げることができません。そこから、自らの煩悩によって、自分が苦しみ迷う世界を生み出している私の姿を例えられています。

ここで尺取り虫が自分が同じところをなぜ回っているかを知らないように、私自身も迷いの中にいるということは分からない場合も多いです。しかし、分かったとしてもどうしようもありません。そこで私の力ではどうにも迷いの世界を離れることができないことを憐れに思われて、法蔵菩薩は私を救うという本願を建てられました。そして阿弥陀仏という

仏になられて現在私を救おうと働きかけられています。

その働きかけが、南無阿弥陀仏です。南無阿弥陀仏を阿弥陀仏のお働きと称え聞いて疑い無い人は必ず迷いを離れて浄土に往生するというのが浄土真宗の救いです。

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宮田秀成/光顔寺・仏教アドバイザー(真宗教義、脱カルト担当)

Profile
1993年に宗教法人浄土真宗親鸞会に入信、10年間親鸞会講師として活動。
脱会後、親鸞会の教えの誤りに気づき、本願寺派の教えを中心に学びなおす。
現在、浄土真宗本願寺派光顔寺(富山)信徒。
   光顔寺スタッフ。仏教アドバイザー。